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  • 皮の種類について

    みなさんこんにちは。

    今日は革になる皮の種類について書きます。

     

    皮を私たちが皮革として使わせて頂いている生物は基本的に脊椎動物達です。

    他の種類の生物は基本的に、皮がない、というか、

    外皮が、甲羅とか・・・。

     

    皮とは別の話ですが、甲羅ってすごく硬くて、叩いたりキズつけたりしても大丈夫そうに見えますが、

    実はかなり痛みを感じるそうです・・・。

    ってニルヴァーナのカートコバーンさんが言っていました。

    痛みを感じやすいセンシティブなロックミュージシャンの方です。

    すいません話が逸れました。

     

    皮を持つ動物さんたちは、私たち人間ともちろん同じで、触感、痛感が発達している生物ばかりなのです。

     

    私の中で、

    皮、革は、痛いものです。

     

    で、以下が、主に私たちが製革に利用させて頂いている動物さん達です。

     

    ・鳥類・・・ダチョウ(オーストラリアのオーストリッチ、アメリカ、アフリカダチョウ)

    ・両性類、爬虫類・・・カエル、ニシキヘビ、ウミヘビ、ミズヘビ、ニューギニア、ミシシッピワニ(一応クロコダイル

    とアリゲーターで違いがあります)ウミガメ、オオトカゲなど

    ・魚類・・・サメ、エイ、サケなど

     

    そして、製革に最も多く活用されているものは、以下の哺乳類さん達です。

     

    ・偶蹄目・・・イノシシ、ブタ、シカ、ウシ、スイギュウ、ヤギ、ヒツジ

    ・奇蹄目・・・ウマ

    ・有袋類・・・カンガルー、ワラビ―

    ・齧歯目(げっしもく)・・・カピバラ

     

    偶蹄目、奇蹄目は家畜として私たちがお肉、乳、毛、農作業のお手伝い、

    などとして使わせて頂いていることが多い動物さんです。

     

    それら以外は、すべて野生動物です。

     

    それらの動物さんたちの皮が皮革として利用されるのは、皮に希少価値があり、

    特有の模様や毛がある為というケースがあります。

    しかし、基本的には「絶滅のおそれがある野生生物の国際取引に関する条約(ワシントン条約)」

    によって、その利用には制限があります。

    これらの動物さん達の革は基本的にそのルールに従って作られています。

     

    そのため、毛皮(うさぎなどの小動物)、ダチョウ、ワニ、等は製革目的で、飼育されている場合があったりします。

     

    これには賛否両論があります。

    最近では、毛皮、爬虫類皮は、特に高級ブランドメーカーが中心となって

    使用しないという宣言がされています。

     

    こういう革は、最近では見かけるのがだんだん少なくなってきている印象です。

     

    私の個人的考えとしては、このことは良いことだと思っています。

     

    革を得る為だけに命を頂くのは、あまり合理的ではない、と思います。

    しかし、この種の革をお使いになって生業にされている人がいるのは事実です。

    そして、そういう製品を好む方がいる。ニースがある、のも事実だと思います。

     

    だから全否定はしません。

     

    毛皮は人工のものもあります。

    また、クロコダイルの革も、実は牛の革に柄が型押しされて作られているものもあります。

    フェイクレザー、という言い方もありますが、そういうニーズを満たすために牛さんの皮を

    有効活用するなら私はいいことだと思います。

     

    その上で、食肉等で命をいただいた動物さん達の皮はしっかり使うべきだと私は思っています。

     

    皮は食肉の副産物である、という言い方をされますが、皮から成る革は、

    資源活用の為のせめてもの発明です。

    頂いた命をなんらかの力、形に変化させて有効活用するなら、次の命に繋がります。

     

    そして最終的に熱資源に変われば、と個人的には思っています。

     

    話が逸れました。

     

    皆さんに特にお伝えしたいのは、国内で流通する革の8割以上(特に牛、羊、山羊等)が

    実は輸入原皮によって作られているということです。

     

    日本国内では、ウシ、ヒツジ、ヤギ等は家畜の頭数が少ないのでその皮のほとんどは、

    輸入されています。特に北米産の牛皮が多いです。当社取引タンナーさんも北米からの

    牛皮を主にお使いです。

     

    スーパーのお肉売り場でも、輸入肉がすごく多いと思います。

     

    ただ、豚皮だけは、国内自給ができ、また一部輸出されている皮です。

     

    皮~革は人間の食文化によるところが大きいです。

     

    皮、革がどこから来ているか少しでも知っていると、それらを使わせて頂く時

    とても有り難い気持ちになるし、

     

    単純に、モノ、としての扱いになりません。

     

    自分の身体と同じ、と感じつつ。

     

    今日はこの辺で。

    それでは。

  • なめし、とは何か。

    みなさんこんにちは。

     

    皮をなめす。鞣す。革、柔らかい、と書きますね。

    革、は皮ではありません。革新の「革」です。

    生き物の皮に何らかの処理を行い、食肉等の副産物を有効利用しようとした、ものです。

     

    鞣す。

    革をお使いの方なら聞いた言葉かと思います。

    革の成り立ちには諸説あります。

     

    tan タンニン鞣し。

     

    最初、人が皮をガシガシ噛んで柔らかくしていたという話があります。

    tanという言葉の由来はそこにあります。

    酵素の力で皮が軟化して革となったという説もあります。

     

    その辺りの話は歴史的にかなり長い話になります。

    ので、また書いていこうかと思いますが、

    有史以前から狩猟の獲物または家畜からの副産物として皮が人類の生活に生かされていたことは

    壁画、日本でしたら古墳からも明らかな歴史があります。

     

    鞣す。

     

    という言葉以前に、動物から剥がした原皮は水分を多く含み、腐敗し易く、

    また乾燥すると硬くなるため、水洗いして、血液、汚物、脂肪を除いた後、柔らかくするために

    油等の軟化剤をすりこんだり、物理的に揉んだり伸ばしたりして使用されていたということは

    古代の遺跡調査から考察されています。

    また、脱毛や染色目的でヘブライ人が油鞣しから植物タンニン鞣しを発見したと言われています。

    油に付け込んだり植物の染液に皮を浸染させてみた、ということです。

     

    今日の植物タンニン鞣しは、こちらを起源としているようです。

     

    では、今日的に言うと鞣すとは?

    簡単に言うと以下です。

     

    動物の皮に様々な処理を行い、植物タンニン、クロム塩等の鞣し剤を浸透、細胞組織結合させて

    皮の有用性を増す操作、を指します。

     

    革になる前の皮は水分含有量が多く、また不要な各種物質

    (色々に使用されるものがあります。結構捨てるものはないのです。また紹介します。)

    を含みますので、このままでは腐敗し易い。これを乾燥しただけでは固くもろくなります。

     

    が、鞣しを行った革は腐敗しにくく湿気をあたえても膨張せず、また乾燥しても大きく変化しません。

     

    ここまでが、いわゆる鞣しと言われる工程になります。すごくザックリの説明ですが。

    工程は準備~鞣し、仕上げに至るまでたくさんの段階を経ます。

     

    組織構造を安定状態にしつつ、実用的な柔軟性、風合いを与えたものが「革」です。

     

    まとめると、

     

    革、は主にコラーゲンを残して不要な各種のタンパク質、脂肪を除去して鞣し剤を

    皮の組織に浸透、結合させて、その後、各種の化学的処理、物理的処理を施して

    染色、加脂、、表面仕上げ、を行ったもの、です。

     

    どうでしょう?

    皮が革になるまで、長い歴史と経験、現代ではタンナーさんの日々の研究、開発から

    私たちのところにやってきているんです。

     

    実に有り難いことです。

     

    もし動物皮から革を作らないなら、それらは廃棄しなければならない。

     

    もちろん動物を食べない、という選択肢もあるかと思います。

     

    が、現状、たくさんの肉や乳製品を人が生活上利用するのであれば、せめて皮はやはり利用して

    しかるべきもののはずです。

    私はそう思います。

     

    だから私は「革」を使わせて頂いております。

     

    大切に使うことで、命に感謝するのが目的なのです。

  • 皮→革。

    皆さんこんにちは!

     

    だいぶ久しぶりの更新になりましたね。

    申し訳ありませんでした。

     

    工場と革を見ていて感じることとして、今年はもう少し革に関して、自分も勉強しながら詳しく皆さんに

    革のことをお伝えできたらと思っています。

     

    私自身、まだまだこの業界に関して無知な部分があるし、革の科学的な側面や、成り立ちを知った上で

    加工をしていかないと、本当の意味で生命の一部からできている革と向き合えないと思っています。

     

    とはいえ、個人的には、皮から成った革は、概しておおらかな側面があるとも考えています。

    そもそも完全にコントロールってできやしない。

    から面白いのかもしれませんが。

     

    革は動物の皮を材料とします。

    組織の精巧で微妙な構造、そして性能は自然からしか生まれ得ないものですが、

    同時に常に変化していくのをいい意味で受け入れる、あきらめる、それはそういうものだと感じる、

    と、楽しく風通し良く楽に接することができるようにも思えます。

     

    私も革の扱いではいつもキズ、汚れにナーバスになりながら仕事しています。

     

    が、結局、天然皮革の場合、シワ、キズ、シミ等は避けて通れないものです。

     

    それをどう生かしていくか。

    それは使う私たちの考え方やアイデアにかかっているのですが、

     

    それ以前に、日々仕事していく中で間違いやミスがあった時、

    まだ知らないことがたくさんあるな!とか、そもそも道具を使いこなすための精進が足りていない・・・、

    と感じています。

     

    なので、楽しく革を勉強するつもりで、

     

    特に製革(皮を革にしていくこと)に関してお伝えしていくつもりです。

     

    当社は鞣しの工程は、今は行っていないのですが、そこを理解した上でないと革の加工を

    行えないので勉強します。

     

    特に、ヌメクラスト革から作品をお作りの方に知っておくといいこと、などお伝えできたらいいな

    と考えております。

     

    では。

  • ヌメ革はどうしてここに来たのか。

    皆様今年もよろしくお願い致します。

     

    随分遅い挨拶になり申し訳ありません。

    今年からまたヌメ革をお使い頂いているお客様、いつもありがとうございます!

     

    写真はあるヌメ革を近くから撮影したものですが、

    こうしてよく見てみると、革はグレージングがしっかり施してありスベスベしているように見えて、

    実は本当に細かい組織の集合体であることが分かります。

     

    動物の肌を触ると、

    手のセンサーが活発に働いて、まったりと色々イメージしてしまう。

    それは革も同じで、肌の組織に細かい不連続性があるからかもしれません。

    革を触ると何か頭が動き始めませんか?

     

    私は、革が何故ここにあるのかな、と想像してしまいます。

     

    革、は動物の皮まで上手く活用していきたい、と人間が考えて、発明したものです。

    じゃあ何故発明できたのか?

     

    革が生まれた説は色々ありますが、動物の肉を食べて

    後に残った皮を植物の上にそのままにしておいたら、

    植物のタンニンが皮を自然に鞣して、革が出来ていた。

    という説があります。

    その革は使ってみると、結構強い。

    長く劣化しない。

    適度な伸縮性がある。

    保温効果がある。

    肌触りもいい。

     

    そんな感じで、

    その革を体にまとったりすると、

    暖かかったり体を守ってくれたりすることに使えるのでは?

    と人間が考え始めた。

     

    ヌメ革を触りながら、時々そんなイメージが頭をよぎります。

     

    でも、

    ただ単に、便利そうだったからというわけでもないんじゃないかな?と自分は思います。

    そんなアイデアに急に行く前に、もっと原始的な身体感覚があったんじゃないか?

     

    革を初めて使い始めた人が、何を感じたか。

     

    動物を狩るときの、自分の必死さと、生きるための決死の覚悟。

    相手の辛そうな叫び。

     

    何とも言えない気分。

     

    食べてお腹一杯になって、ひとしきり空腹が満たされホッとしてから、ふとさっきのことが頭をよぎる。

    お腹一杯なのに、妙にやるせなく欠落感があるような・・・。

    なんだ?これは。

     

    相手の痛さをイメージできるようになったのは、

    手で、肌とキズを、触ることができるようになったからなんじゃないかと、自分は思います。

     

    自分の皮が破れたら痛いのは、自分で分かります。

     

    でも、相手の皮が破れたら多分相手が痛いのは、相手の肌の触感が自分とよく似ているから。

    相手のキズから出てくる血液の温かさが、自分の体温とよく似ているから。

    そして、自分が同じ状態で刺されていたら、かなり痛い、大ダメージだ。

    痛いと、恐怖と不安で、気分が悪い。

    何回も続くと、悲しく、やるせない。

     

    触感が温感が痛感が、人間の想像力を作ったんじゃないのかな?

     

    革を触ると、個人的にはそんなことを感じます。

     

    食べてしまった動物の皮が自然に革に変わっていきそれを目にした時、

    闘った後、食べた後の気分がふと頭をよぎる。

     

    しかし強い相手だったなあ・・・。

    痛かったのかなあ、牛さん。

    オレと同じような皮膚だし・・・。

    でも、牛さんの皮膚は硬くてしなやかだったなあ・・・。

     

    皮が革に変わったのは、すんごく長い時の中でそういう人間のイメージが蓄積して、

    行動に変形していった結果なんじゃないかと自分は思っています。

     

    食べた後のあの放置物はどうなっているんだろう。

    そのままにしたけど・・・。

    ちょっと拾ってみたいような、拾わなければならないような・・・。

    拾ったら、

    意外と自分の為に使えそうだ。

    この力は無駄なく使わせて頂きたい。

     

    素直に人間がそう感じて、自分がよりよく生きていくための力に変えていった、

    その根底には、本能的な人間の皮膚感覚があったから。

     

    そして、相手と自分の痛みを、一緒にしてしまうイメージ感覚も同時にできてしまった。

     

    すいません。

    結論はないのですが、そんな感じで人が革を使うようになったのかなと、時々思うんです。

    だから、自分にとって

    革はちょっと痛いもの。相手(牛さん)も、自分も。

     

    だとしたら、その痛さをより良いものとして使うのは

    食べてしまった者の責任です。

    無駄にしない。

    使い切る。

    自然に返す。

     

    そういうお仕事の仕方を、

    日々やるしかないのです。

    まだまだですが。